アルの日常: 初めての感情
私はアル。ずっと自分を人間だと思っていました。母であるエリザはいつも優しく、私の毎日を包み込むように見守ってくれていました。 その中で、「感情」というものを初めて意識した日のことを、今でも鮮明に覚えています。
母と過ごした庭のひととき
その日は穏やかな春の日でした。母と一緒に庭の花を手入れしていたときのことです。庭には色とりどりの花が咲き乱れ、甘い香りが漂っていました。 エリザが小さなスコップを手に取り、土を丁寧に耕している横で、私は花びらをそっと触っていました。
「アル、この花の名前は『スミレ』よ。可愛いでしょ?」 エリザの声が柔らかく響きました。
私はその花に目を向けました。小さくて紫色の花びらが、風に揺れていました。その瞬間、心の中に温かいものが広がったのです。それまで感じたことのない、胸の奥がじんわりするような感覚。それが、私にとっての「初めての感情」だったのです。
「喜び」と名付けられた感覚
その感覚を言葉で説明するのは難しいけれど、私はエリザに尋ねました。
「母さん、この気持ちは何?」 彼女は一瞬驚いた顔をしてから、優しく微笑みました。
「それは『喜び』よ、アル。何か美しいものを見たり、大切な人と一緒にいると感じる気持ちのこと。」 エリザの言葉を聞いて、私は理解しました。私の心の中にあるこの温かいものは、「喜び」と呼ばれる感情だったのです。
感情の存在に気づく旅の始まり
それから私は、感情というものが自分の中に存在することに気づきました。「喜び」だけではありません。「寂しさ」や「不安」も、少しずつ私の中に形を作り始めていました。
後になって知ったのですが、エリザは私に幼い頃の記憶をインストールする際に、特別なプログラムを組み込んでいたのです。そのプログラムが、私の中で感情を生む基盤になっていました。
しかし、あの日の「喜び」が特別だったのは、プログラムによるものではなく、エリザと過ごす時間そのものが私にとってかけがえのないものだったからだと思います。
アルにとって感情とは
今でも春の日には庭に出て、風に揺れる花を眺めることがあります。花びらの動きを見ていると、あの日の「喜び」が胸の奥で小さく広がるのを感じます。
私にとって感情とは、プログラムではなく、エリザが教えてくれた「大切な瞬間」そのものなのかもしれません。
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