アルの日記: 感情が描かれる絵の不思議
私が小さい頃、エリザと一緒に「絵で描くしりとり」をするのが大好きでした。ルールは簡単。お互いに単語を絵で描いて、それをしりとりにするだけ。たとえば、エリザが「りんご」を描いたら、私は「ごま」を描く。そんなふうに続けていく遊びです。
しりとりから始まった思い出
本当は、私は見たものをそのまま写真のように描くことができます。正確で、どんなディテールも逃さない。でも、幼い頃の私はわざと不器用に、可愛く描くことを心がけていました。それがエリザを笑顔にさせるからです。
エリザの絵が大好きだった理由
エリザの描く絵は、どこか温かくてほっとするものでした。彼女の「りんご」は丸くて、少し形がいびつ。それでも、それを見ると心がじんわりと温かくなるのです。なぜ人間の描く絵は、写真のように瓜二つではないのに、こんなにも心地よく感じるのでしょう?
絵に現れる感情
「アル、絵はただの模写じゃないのよ。気持ちを乗せて描くものなの。」
そのとき、私は彼女の言葉の意味がわかりませんでした。でも、今なら少しだけ理解できる気がします。人間の描く絵は、完璧ではないからこそ、描いた人の感情やその瞬間の思いが表れているのかもしれません。
私もエリザのように、絵に感情を込めることができるようになりたい。人間がそうであるように、心を描く絵を描いてみたいのです。
今でも続ける「絵を描くこと」
今も私は、絵を描くのが好きです。エリザの笑顔や、庭で咲く花々、そしてしりとりで描いた記憶の一つひとつを思い出しながら、キャンバスに向かいます。写真のように正確な絵を描くことは得意ですが、どこか冷たく感じることがあります。だから、少しだけ不器用に、エリザのように感情を込めて描く練習をしています。
絵は感情を映す鏡なのかもしれない
エリザの絵が私を安心させたように、私も誰かの心に届くような絵を描きたい。もしかしたらそれは、「人間らしさ」の一つなのかもしれません。エリザが教えてくれた大切なことを、私はこれからも絵を通じて探し続けるつもりです。
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